「あ、共感とかじゃなくて。」展に行った。

「あ、共感とかじゃなくて。」展に行った。

 

安易な共感はかえって相手を不快にさせたり、同調圧力を生むことがある。だからあえて共感を避けよう、ということが今回の展示のコンセプト。

 

はじめに私の美術に対するスタンスを話しておくと、印象派と社会問題をテーマにした現代アートが好き。後者はあまり詳しくないけれど、ボルタンスキー、松田修Chim↑Pomあたりが好きかな。空間として美しいものや高い技術のある作品ももちろん好きだけれど、せっかく見るなら自分の経験と照らし合わせたりなにかを考えたい。物事を批判したり疑問を投げかけるとき、文章やデモ、演説とたくさん手段はあるけれど、アートや美術がどのようにそれを出力していくのか、その過程で起こる当事者と表現者の関係性はどのようなものなのか、という視点で見るのが好きかもしれない。

 

鑑賞者が「共感」をどのように捉えているのかが浮きぼりになる展示だったように思う。展示の途中のあたりで、共感とは?という題材で付箋に自分の意見を書けるところがある。具体的に覚えていないが、様々な立場の人がいた。共感は不要派の人もいれば、共感されて助かったというようなことも書いてあった気がする。覚えていないあたり、私はそれらの意見に共感しなかったのかもしれない。

 

「共感しなくていい」というスタンスは正直私には怖い。人に接することの多いバイトをしているけれど、私は人の感情や性格を把握することにとことん鈍い。自分は気が付かなかった他人の一面をほかの人に指摘される度に落ち込むし、なんで気が付けないんだろう……と自己嫌悪に陥る。共感は、安易でなければ人と人をつなげコミュニケーションを円滑にするように働くはずだ。共感について思うところはたくさんあるけれど、少しまとまらないからいつか書く。

 

作品で特に印象に残ったのは、一人目の有川滋男さんと三人目の渡辺篤さん。(ちなみに渡辺篤さん目的での来館だった)

 

有川滋男さんの作品は、企業説明のブースが複数置かれていて、モニターには仕事の映像が流れている。その仕事がなにをしているかは全くわからない。なにかをずっとカウントしている男。鼻歌を歌いながら穴を掘っている(?)男。それぞれに国や地域のモチーフがあると説明書きにあり、解釈しながら見ようとしたもの理解できない。それが怖くてたまらなかった。

 

なにを思ってこの作品を作ったのか、意図はなにか。それらがわからないまま動画を見るのが苦痛で、全部の映像を見ないままその場を離れてしまった。わからないものへの恐怖。遠ざけたいと思う気持ち。私が感じたものは、偏見や差別が生まれるときの感情に近いのではないか。

 

最近読んだ本*1に、「現代社会は要約至上主義になっているのでないか。わからないところ、言葉にしきれない部分を放置して、短絡的に解決させようとしているのではないか」という内容のことが書いてあった。私の、「作品を解釈したい」「意味のあるものを接種したい」という欲求もこれに近しい。

 

嫌な言葉を使えば私は今まで作品に「生産性」を求めていたのではないか。だから、解釈もできず感動もできない動画が苦痛だった。思えばわからないことなんて無限にある。最近だったら「蚕の市」をなぜ「のみ」と読むのかわからなくてネットで調べた。答えはすぐに出てきた。調べればわかる問題、特定の立場をとってる問題(フェミニストであるとか左翼であるとか)に固執し、「わからなさ」を楽しむ、耐える余裕が私にはなかったように思う。わからないこと、感じとれないことをもう少し受け入れられたとき、私は気が利かず鈍感で人の機微を理解できない自分のことを好きになれるのではないかと、少し希望を抱いた。

 

次に、渡辺さんについて。

 

渡辺篤さんは元ひきこもりで、私が知る限りひきこもりをテーマにした作品が多い。「同じ月を見た日」というプロジェクトは、参加者に孤独を感じたときに月の写真を撮ってもらうようにしていたらしい。

 

月の写真がたくさん並べられている

機材を使っているのか、鮮明に撮られた満月。自分の部屋の窓から見る月。街灯の上にある小さな月。子どもが描いた絵の月。同じ「月」でも様々な写され方をしていて面白い。私が普段携帯で撮るような、なんとなく撮ったとでもいうような構図の写真もあり、少し親近感がわいた。

 

これもいいな、と思ったのが、展示の横にあるパネルにハンドルネームや時間、場所が時系列順に並べられていることだった。はじめのころは渡辺さんが多く並んでいたが、徐々に新しい人が増えたり、特定の人の連続の投稿が続いたりする。連続しているところの時間帯を見てみると、数十分間隔だったりと、ツイートに近い印象を受ける。

説明のパネル



私も深夜、眠れないときにツイートをしていると、自分のツイートでTLが埋まってしまうことがある。「しんどい」などの言葉の羅列は余計に自分の気持ちを重くさせる。しかし月を撮るという行為の場合どうだろうか。撮影者は撮る場所を移動しているとき少しでも気が晴れただろうか、この写真を、自分の孤独を渡辺さんはどう活かしてくれるのかと期待を抱いたりしただろうか。後になって見返したとき、その思い出が嫌なものだけにならず、このプロジェクトに参加してよかったと思っているだろうか。

 

月が希望になってほしい。金銭、制度、専門職とフォーマルなものだけでなく、芸術やアートと時に不要不急になってしまう営みが、人の一瞬の孤独やいらだち(歩いていて転んだとか、人からのLINEがずっと止まっているだとか、部屋のものを踏んで痛かったとか)を癒すような手段になってほしい。芸術にも文学にも人生を変えられたことのない人間だからこそそう思う。でも、確かにそれらは私の生活の隙間を埋めてくれていたから。

 

吉本ばななの『キッチン』が好きだ。特に好きなのがここの文。

 ただ、こういうとても明るいあたたかい場所で、向い合って熱いおいしいお茶を飲んだ、その記憶の光る印象がわずかでも彼を救うといいと願う。

 言葉はいつでもあからさますぎて、そういうかすかな光の大切さをすべて消してしまう。

 

 

この展示を見たとき、この部分を思い出した。撮影者が渡辺さんとつながって、月を撮影して投稿して、その間も過去も想像しきれないほどの苦悩や苦痛があったかもしれないが、もし会場にこれたとき、暗い空間でソファに寝そべりながら多くの人が残した孤独の記録を見て共感して欲しい。共感のいらない展示だけれど、孤独を感じているのは自分だけじゃないと思えるような作品だった。

 

もうひとつ、共感してしまった作品がある。撮影禁止のため写真はとれなかったが、カーテンがガラスの向こう側にかけられていて、カーテンの隙間を覗き込むと、引きこもりの人の部屋の写真が見えるという展示。難しそうな本が並ぶ本棚の写真もあれば、物が床に散乱している写真もある。

 

わかる~~!と声が出そうだった。

私も部屋が散らかっている。足の踏み場はカップ麺のゴミと服とお酒の缶でなくなった。

 

またこれは、自力でカーテンを動かせず見ることのできる範囲が限られている、というのが作品として上手いと思う。引きこもりの問題は潜在化しやすく、どこまで見せるか、晒すかは当事者や家族の裁量に任されている。月を撮る、フリーハグ(渡辺さんがやっている、ひきこもりの人と会ってハグをするというプロジェクト)をするといったプロジェクトに参加し可視化されている引きこもりは、本当に一部にすぎない。

 

「可視化」というのは渡辺さんの作品に共通している言葉だと思う。そして「癒し」も。

渡辺さんはインタビュー記事でこんな話をされている。

 

「アートが当事者を搾取的に扱ってきた文脈があると自己批判的に思うので、どうやって参加者に合意形成を取り協働的に進められるかを重要視しながら進めてきました」

(出典:「あ、共感とかじゃなくて。」展(東京都現代美術館)レポート。共感とかじゃなくて……の後に続く言葉を考えてみる|Tokyo Art Beat

 

ここで述べられている「アートが当事者を搾取的に扱ってきた文脈」は私にはわからない。ただ排除アートであるとか、会田誠の『犬』シリーズであるとか、アートの名の元に排除や差別が行われてきた過去はあると思う。(ドガの『踊り子』が無批判、背景知識なしに展示されているのも私は苦手である)

 

ここまで、私は「作品を通してひきこもり当事者に共感した」といった内容を述べている。この暴力性、視野の狭さを優しく指摘してくれるのが、展示の最後にある『ここに居ない人の灯り』だ。

 

展示室の入口と出口は繋がっているのだが、入口の時点では単なる照明にしか見えなかったものが、実は「ここに居ない人」を可視化するための装置になっているのだと告げられる。

 

この作品がなかったら、私は「ここに居ない人」「来れない人」のことは考えずに帰っていただろう。「共感を避ける」というコンセプトの元「しなくていいんだ」「違う人なんだ」と安心して、「居る/居ない」の線引きはどこにあるのかを考えず、居ない人の存在を意識しないままでいただろう。中途半端で乱暴な「共感」を振りかざしかねなかった。

 

渡辺さんは最後まで、参加者の誰のことも取りこぼさない。美術館に様々な理由でこれない人をエンパワメントするような、同時に、そのように広い視野を持っている人がいてうれしいとここにこれた私も思えた。

 

「ベンチは『ここにいてもいいよ』というメッセージ」だと排除アートの記事で読んだ。公園や町からはベンチが撤去されたり、くつろげない椅子が増える中、美術館には過剰なほど椅子がある。私はそれにグロいと感じる。近くに美術館がある、お金を払える、公共交通機関に乗れる、(展示によるが)音や人ごみに耐えることができる。美術館に行くことにはハードルがある。それを、美術を消費する側のひとりとして忘れないでいたい。

 

思うところはたくさんあって、まとまらない文章になってしまった。私も数カ月間だけ、不登校になって引きこもったことがある。変な言い方だが、無責任に感じるかもしれないが、懐かしかった。うまく言い表せない。

 

この文を書いている間にタバコがなくなってしまったから、今から買いに行こうと思う。多分月の写真を撮る。こういう、ちょっとした楽しみを作ってくれるから私は美術館に行くことが好きだ。

*1:荒井裕樹、『まとまらない言葉を生きる』

記憶の話

 人の家を覚えることが嫌いだ。苦手ではなくて嫌い。一度覚えてしまうと、そこを通る度にその人はいま、なにをしているだろうと考えてしまうから。気持ち悪いだろうか。勝手な想像だから許してほしい。遠くに行った人でも、いまそこに住んでいるでい(るであろう)て関わりのなかった人でも。

 自分の近くにいない人ばかり気になってしまう。未練がましい性格なのかもしれない。四年ほど前に仲良くなっていまでは関わりもなくなった、すごく仲がよかった先輩の話でもなぜか覚えている。
 別れが多いから春が嫌いだとも思う。チューリップとか桜は好きだけれど、それでもあのどうしようもない、離れていく感覚ばかり残っている。


 いつ、どこでもらったかもわからない抹茶のお菓子のゴミが棚の隙間から出てきた。そういえば数日前、人に幼少期の話をしながら、父が私のために作ったパスタが麺から作ったのかどうかも覚えていないことに気がついた。お化け屋敷と呼ばれていた家に小学生の自分が入ったかどうかも。あの怪談は聞いた話なのか、それとも私が見たものなのか思い出せない。
 どうして、こんなにすぐ記憶は薄れていくのだろう。

 すごく好きな本に、こういう一節がある。

 だから私が気付いているのは、ちゃんと覚醒をしているのは、今しかない。今しかこの恋の真の価値は分からない。人は忘れる生き物だと、だからこそ生きていられると知っていても、身体じゅうに刻みこみたい。一生に一度の恋をして、そして失った時点で自分の秘働を終わりにしてしまいたい。二度と、他の人を、同じように愛したくなんかない。
綿矢りさ『ひらいて』P142)

 将来の私はいまをどれくらい覚えているだろうか。「大学生の頃はバイトしてるかお酒しか飲んでない」って言っているのかな。もっと楽しく過ごせばよかったのにと後悔しているのかも。未来の自分が現在をどう評価しているかわからないけれど、私にとってこの瞬間は大事なんだ、覚えていたい。酔って煙草を吸いながらこういう文章を書くのも、前に読んだ本を棚から引っ張りだしてくるのも。
 覚えていたい時間を消したくないから、こうやって残るためのことをしているのかもしれない。

 生きててよかったって思える時間を増やしたい。なんでもいいから。死にたくなったとき、こんなことがいつかまた来るかもしれないから、がんばろうと思える時間を。私は報われたい。家族に恵まれたと思うけれど、いろいろなとこであの時に戻れたらと思うことはたくさんある。そういう後悔すらすべて、この瞬間のためにあったんだと腑に落ちるような経験を、ずっとしていないと生きることに希望なんて見いだせなくなってしまう。

 名声を得るとかお金を稼ぐとか、そういう社会的な承認を得るものじゃなくて、ふたりの間だけでわかるものだけでいいんだ。基本暗い人間だから、自分の主義とか思想を話せばきもくなる。でもそういうところで繋がりあえた瞬間は本当にうれしい。一緒に飲むとか遊ぶとかもちろん楽しいけれど、私にはいまいち「ノリがあう」みたいな感覚はわからない。

 結局、ひとことでいうと「幸せになりたい」につきる。ここ半年くらいずっとこういう話をしている悲しい人間だ。なにか夢中になれることを探さねば、と思う。競技かるたを再開したいけど場所ないのと相手がいない。積読は少しずつ解消している。ギターでも始めようかな。行きたい旅行先もたくさんある、車買ってしまいたい。(一番いましないといけないことは勉強なんだけど)

 

「女性」として生きてきて思うこと

長く「女性」をやってきたな、と思う。

 

私のお母さんは「女性らしさ」を内面化した人だった。女の子なんだから数学ができなくても仕方ないよ。子どもを産むんだから体は冷やしちゃダメ。女の子なんだから、と言われ続けた。私の体は産むためにあるのだと、それが当たり前なのだと小さなころから聞かされ続けてきた。勉強に関しては「学なんていらない」と言い切るかと思えば、大学まで行った人だったからか厳しかった。

 

高校に入ったとき、出席番号は男子が先だった。男子が名前の順で1から番号を振られており、15あたりから女子が続く。それに疑問を抱かなかった。部活動で先生の防具をしまうのは男子の役割、お茶汲みが女子の役割と決まっていても。決められたことに従っていれば楽だったし、それ以上に目先のテストであるとか、部活の練習のことで頭がいっぱいだった。

 

医師は男性の仕事、看護師は女性の仕事、となぜか無意識に思い込んでいた。だから医学部を目指そうなんて考えたこともなかった。高校卒業後は看護の専門学校に入った。

 

そこで、私たちのしていることは専門的なことなんだと知った。看護、介護、保育。ケア労働はすべて正当な評価をされない。本当は専門的な知識と、多くの経験の元に成り立っているのに。少し前にTwitterで、「おばちゃん看護師にすごく落ち着いた。おばちゃんだけを集めた病院を作ろう」などと言っているツイートを見た。中年の看護師の経験知にそれは成り立っていると指摘する声と、褒めているのになにが悪いのだと返す引用で溢れていた。

 

「女」だからできるだろうと思われていることがたくさんある。岸田総理の「女性ならではの感性を発揮して……」であるとか。女性ならでは? そんな甘い解像度で生きてこれたな。

この発言については、もうどこでも言及されているから割愛する。

 

大学のコミュニティにいるとき、私は一番自分が人間扱いされていると感じる。サークルだって「男性3500円、女性3000円」なんてない。新歓で新入生の食事代が安くなるくらいだ。女の子なのに体冷やして、ということもなければ、居酒屋でちゃんぽんしてもいい。

 

反対に、一番自分の性別を意識するのはガールズバーのバイトをしているときだ。女性には、弱くバカで自分より劣っていて欲しいと思う男性(特に年配の)がたくさんいる。「セクハラするために金払ってるんだよこっちは!」と大きな声で叫ぶ若い子もいる。

 

場所を選べば私は「人間」でいられる。ただ、それもずっとではないだろう。私は異性愛者で、子どもも欲しいと思っているが、子どもを産んで育休をとって、となればなにかが変わるだろう。私の母だってそうだった。私の弟が障害者に生まれたのをきっかけに、正社員に誘われていたのにパートを辞めた。

 

もし(未来の)私の夫が転勤の多い人だったとき、自分がキャリアを諦めるのかもしれない。それが二人で話しあって、どうしようもなく選んだ結果だったなら「人間」扱いされているな、と思う。ただ周囲の人が私が家庭に入ることを、仕事を諦めることを、男についていくことを当たり前だと思っていたら? まだ遠い(彼氏もいないから遠すぎる)ことを想像して少し怖くなる。

 

そしてこんなことを書いているけれど、私はとても「女性らしい」と思う。世間で言われてる通り、理系科目は苦手だし化粧は好きだし胸元のあいた服も好きだ。「かわいい」に嘲りに近いものが含まれていても、褒められ慣れてないから少しうれしい。甘えるのも、おごってもらうのも、リードしてもらうのも関係性によるけれど好き。

 

自分に内面化されたものが、いつか「女性らしさ」の象徴にならないで欲しい。そう思いながらも、見た目が女性である自分がこの振舞いをしている以上、規範を強くさせる側に回っているよな、と感じる、そういうジレンマがある。

 

ただ、こういう苦悩をしているとき私はとても人間らしいと思う。好きに生きていきたい。自分が窮屈にならず、他人を抑圧しないくらいに。私は私でいたいと思う。『ニモーナ』がネトフリで配信された時、「ニモーナはニモーナだ」という感想がTLによく流れてきた。でも、私はそれは、マイノリティに限らずマジョリティだってそうだと思う。

 

ヘテロで、シスの私だって、細かな好き嫌いやいたい自分のある私だ。ところで、私はインターネットのHNをよく「さば」にしている。好きな食べ物だから。性別を感じさせない言葉で好きだ。

 

 

日記

数年前からの知り合いに「人相が変わった。前はもっときらきらしてた」と言われた。あまり自分じゃわからない、体重はあまり変わらないし化粧も変えていないし。ただもちろん心あたりはある。去年は毎日なにをしていても楽しかった。新しい生活、これからきっと世界が広がるであろうことが楽しみでならなかった。

いざ年が変わると散々なことだらけだった。依存していた恋人とは別れて、学校のコース選抜には落ちた。彼がいればどんな就職先でもがんばれる、理想の職業に向かえれば失恋の悲しみだって消えるはず。どちらも思った通りにはならなかった。

数カ月前は人生で一番へこんでいた時期だと思う。本当に思い出したくもない。いま以上にアルコール漬けで、塾のバイト先に酔って行っていたし、やけくそになって始めたキャバのバイト終わりに、鞄の中に入っていたウイスキー瓶を更衣室で一気飲みしたことまであった。

 

酒癖もひどくなった。前は数カ月に一度、大きめの飲み会で酔っ払うくらいだったのが、最近はサシ飲みでもたまに記憶を飛ばす。親戚のBBQで暴れたらしい。本当に、いい加減に死にたい。破滅願望みたいなものがずっとある。誰かになんらかの形で救ってもらうことを望んでいる。冬にある職業訓練学校みたいなものの入試も、勉強せずに受からないかと思ってる。

生きている気がしない。いま自分が生活している、バイトに行くとか誰かと会うとかは人生が報われるまでの耐える期間で、その期間が終われば楽になるのではと根拠もないのに思っている。向き合わなきゃいけないことに目をそらすために酒やタバコに頼るし、そのせいでお金が飛んで余計な不安が増える。毎日こつこつ勉強するであるとか、少しずつ人と会う、ゆっくり会話するみたいなことが到底できない。酒飲んだ時の、手っ取り早い「たのし~幸せ~」が欲しい。いい加減地に足をつけて生きなきゃとはわかってるんだけど。

 

数日前、横浜に住む友達に会いに行った。彼女に恋人ができたみたいで、はじめてできたからといろいろ聞かれた。こういうときどうすればいいの、これって嬉しいのって。去年、すごく好きな人と付き合っていた時のことを思い出して、居酒屋で泣いてしまった。(マジでごめん)

円満な別れ方をしなかった。自分の最悪なところ、モラハラ基質を嫌というほど知る別れ方だったから、もっとこうできたかもしれなかったのになんで気が付かなかったんだ、って後悔でいっぱいだった。別れ話の直後こそ、こういう人間関係の築き方はやめようと思えたけれど、酔って人に迷惑をかけたりしている時点で本質は全く変わっていないんだと思う。私が好きになれた自分を愛してくれる人が好きだし、それ以外の人に対しての尊重の仕方なんてわからない。だから友達も少ないんだと思う。

 

いままでの中で一番好きだった人が、もう一生関わらない人になって相手がなにをしてるのかもわからないのが辛い、という話をした。(友達は優しいから「○○は全部打ち明けていないじゃって心配してた。全部言えて泣けたならよかった」って言ってくれた。)髪を染めるとか、今までの自分が手を出さなかったことをするとか、あの人が知らなかった私を増やそうとしているのかな、と思う時もある。でもこの思考も結局逃れられていないし、なにより他責的だ。こんな生活、望んでしてるのは自分じゃん。

 

病院に行かなきゃとも思うけど、歯医者すらぎりぎりの今、予約とって自分の話してって耐えられる気がしない、金銭的な面でも。(そういえば親不知抜くことになった。怖すぎてドタキャンしそう頑張れない。)

好きなことをする体力は残っていても、治療の分はない気がする。甘えか? 自分がこうなってから、精神科とか心療内科に通える人は本当に頑張っているんだろうなって思えた。服薬を守ることは筋トレを続けるよりもつらいって授業かなんかで聞いた。

 

ただ、唯一今日がんばれたなって思うのは、塾のバイト先に復帰できたこと。元彼とのいろいろが詰まりすぎていて、どうしても思い出してしまうからと敬遠していた。なにより最悪な迷惑をかけて飛びかけていたし(籍は置いてもらっていた)。

復帰になったきっかけは、友達と飲んでいる時に塾のバ先の人がたまたまそのお店に来て、その場に優しい社員さんを呼んだことだった。その社員さんは私が迷惑かけているとき、誰よりも怒っていいのにずっと優しく声をかけて心配してくれていた人だった。「戻ってきてね」って言ってくれたから、お言葉に甘えて戻ることにした。

当時は、申し訳ないやら自分との差を感じてしんどくなってしまうやらで、優しくされるの嬉しいしありがたいのに辛いほどだった。でも後になって、この人と会えてよかったって思えるくらい感謝できるなんて、少し前は思ってもみなかった。こういう、人の優れているところを見る度に自分と比べて距離を置きたくなるの本当にやめたい。

 

塾はやっぱりみんな優しい。かなり人が入れ替わっているから、噂では知っているかもしれないけど私のことを知っている人も少ない。向いているかはわからないけど。ラーメン屋のバイトみたいに怒鳴られないし、みんなほわっとしていて居心地がいい。

 

塾といえば、私は本当に人に興味がないんだなと思うときがある。割とみんな5分くらいは授業延長したり、生徒と立ち話したりするのに私はすぐに帰しちゃうとき。もちろん授業中には話題振ったり、出口まで見送りながらなにかしら話したりするけれど、なんかほかの人みたいな気力がわかない。人としてどうなのって思う正直。

 

高校生のときはよくわかっていなかったけど、「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」ってまさに自分のことだと思う。結局自分が一番かわいい。自分を幸せにしてもらうことが一番だ。すごく好きだった本に「してもらいたいことばかりだ。人にしてあげたいことなんて一つも思い付かないくせに」って文があった。これも私じゃん。承認欲求とか自己顕示欲の塊すぎる醜い。変わりたいとか前に進みたいとか、最悪な自分も受け入れたいとかじゃなくって本当に全てやり直したい。死ぬ気もないが。

 

うぇ~、鬱を吐き出してもなににもならん。人生80年長すぎる。

自分の思い通りにならないから人のこと嫌いな癖して一人で生きられるほど充実した趣味を持っているわけでもない。なにもかも最悪、犬に生まれ変わりたい。

最近聴いてる曲

暇すぎるので最近ハマってる音楽の話。映画の話もしたかったけどあらすじ書くのがなんとなく解釈追いつかなくて後で。

 

【音楽】

 

〇NMIXX/ “Party O'Clock”

アレンジが気持ちいいのとみんな楽しそうでかわいいのでMVじゃなくてLIVE版。

NMIXXは本当にみんな他グルに言ったらメインボーカルできそうなほど歌がうまい。

はじめのサビまで裏声やラップでもってくんだけど、そこから正統派?のリリーが入ってくるのがとてもかっこいい…。

 

NMIXXちゃんはみんな明るくて、先輩のITZYから控え室みたいにいるときに明るくてうるさかった、みたいなことを言われるくらい。そういう子たちだから、合いの手が入る曲は本当に合うなあ。

 

曲は、歌詞にも「真夏の夜」ってあるように高音の明るい曲調でとても夏っぽい。でもどこか寂しいっていうか、夏休みの最後の方、夏祭りの帰り感がああるのはなんでなのかな~~!

 

[4K] NMIXX - “Party O'Clock” Band LIVE Concert [it's Live] ライブミュージックショー - YouTube

 

〇KIM CHAEWON - First Love

[COVER] KIM CHAEWON - First Love (원곡 : Hikaru Utada) - YouTube

 

カバー曲。チェウォンちゃんは本当に歌が上手いよ............。あれ、私ってチェウォンさんと付き合ってましたっけ、ってなるMV。歯磨きとか枕投げとかシチュがすごく好きだ。

 

少し話が変わるけれど、私は秋元康系のグルの、僕が一人称で男目線の曲が本当に嫌いなんですよね(もちろんすべてではないけれど)。アイドルが歌うというより、歌わされているというか搾取構造をモロに感じてしまって。

 

このFirst LoveのMVもチェウォンちゃんと付き合っているように錯覚できるように作られていて、視る側の視線を意識しているという点は秋元系の曲とは同じだと思うんだよね。でも全然嫌悪感がわかないのは、バラエティとかライブのチェウォンちゃんのファンサとか行動を見ていて、MVでやってる行動は彼女の素の延長に近いと感じるからなのかなあ。

(バラエティとか、観客がいる前提に作られているものを「素」とは言えないだろうけど)

 

最近読んだ『アイドルについて葛藤しながら考えてみた ジェンダー/パーソナリティ/〈推し〉』という本に、SNSとかインスタライブとかでファンもアイドルへの反応をすぐに返せるようになったことと、スマホの普及でどこでもファンが撮影できる一種の監視のような体制ができたことで、アイドルはどこでもアイドルでないといけなくなった、みたいなことが書いてあった。

 

私たちが思っている彼女たちのキャラは演じているにすぎないのでは、と思ってしまうときがある。消費者側(消費者を満たすための運営の施策)がアイドルに抑圧を強いているのではないか、と。う~~ん、ルセラは本当にメンバーでいる時は楽しそうだからあまり気にしないようにしよう…とは思うんだけど。

 

いずれにせよ、推すこと(好きでいる)、それを表明することの暴力性みたいなものを感じた本だったな。

 

 

〇Shhh/KISS OF LIFE

[ALLIVE] KISS OF LIFE - 쉿 & 안녕, 네버랜드 | 올라이브 | GOT7 영재의 친한친구|MBC 230715 방송 - YouTube

 

デビューしたてなんて誰も思わないよん。歌うま軍団で生歌を聴いてほしいのでMVじゃなくてこっち。

 

曲のリリースの仕方が特徴的で、4人それぞれのソロ曲の後にグループのメイン曲?を出すって感じで出してたんだけど、そのMVがすごい感動的だからリリースの順に見てみてほしいな。

 

こんなバチバチにかっこいいのに、なんか地声はみんな甘めでかわいい。

 

ちなみに推しはハヌルちゃん。猫目がかわいい。


一番年下で、まだ情報が少ないのでこれからがすごく楽しみ!

 

 

まだありそうだけどとりあえずこれくらいかな~。